大人になってから親に、幼少期に抱いた恨み辛みを言っても無理です

こんにちは!自分改善サポーターブログ 和華です。

これを読むといい人

  • 大人になってから親への不満が強くなった
  • 子供を育てている中で思い出した
  • 親に謝ってほしい想いで一杯

親にもプライドがある

今更何年も前のことをほじくり返されたと思い、抵抗しているんだと思います。
そして親も「人間」であるということも付け加えて置きます。

両親は、お互いの質、性格でもって付き合いをし、結婚しました。ですから、お互いが学びの相手なのです。どっちが優れているわけでも、怠っているわけでもありません。一緒です。

また、相手は自分との違いがあり、育った環境も違います。価値感も100%同じではないのです。その「違い」を埋めながら、同じ屋根の下、経済活動を行い、生活し、子供を育ててているわけです。

さらに、両親もまた、そのお互いの両親に育てられ、今があります。
そのお互いの両親にどれだけ理想的な愛情を注がれたのかも遡って、調べる必要が出て来てしまいます。

個々の人間には、必ず力量というものがあります。
すべての親が自分自身の力量をうまく使いこなしているわけではありません。

そのため、大人になった子供から、何年も前のことを言われては身もふたもないのです。

「もっとこうしてほしかった」は両親への理想の押し付け

あなたがもし、両親を目の前にして、幼少期の恨み辛みを表現するならば、話している間に、泣き、怒り、非難し、責め、謝罪させるようになるでしょう。

それは「期待」から来ているものであり、「要求」なのです。
満たされない欲求を、今こそ満たされるべきだと「要求」しているのです。

あなたは社会生活の中でどれだけ周りの人たちの「期待」を満たしていますか?全て十分に満たすことが出来る自信がありますか?

私も言いました!!

ある日、両親に言いました。
幼少期にしてほしかったことを両親にぶつけたのです。
私の場合は、冷静に話しただけですが。

その冷静さを、父親は逆に警戒し、「弁護士みたいだ」と話すら聞いてもらえませんでした。
母は聞いてくれましたが、最後まで話がかみ合わないというか、こちらの思いを汲んでくれることはありませんでした。

母は、「あの時、○○(私)はこうだと思ったから」「私はそれを見て○○だと思った」と常に自分目線であり、親目線から外れることはありませんでした。

私は『こういう風に思っていたんだね』『こうして欲しかったんだね』と私の気持ちをわかってほしかっただけでした。

つまり、親は常に親目線であり、子供は常に子供目線だったということです。
見ている場所が違うのです。

確かに、子供の経験があるから、親になれる。選手の経験があるから監督になれるが「理想」かも知れません。

ですが、結論はおそらく、親は「親業」で精一杯だったのです。
「子供の目線に立って」をなんなく出来る親はどれくらいいるものでしょうか?

解決策。では、どうすれば?

私も過去、無価値感が強く、自尊心は低下していくばかりだったころ、自分自身と向き合っていた時期がありました。でも、その自身の無価値感を手放すべく、いろいろと試してみましたが、とても時間が掛かり、うまくいきませんでした。

そういう自分を感じて、『自分が自分をこんなにうまくコントロール出来ないなら、自分以外の母親を今更どうこうしようとするのは止める』と心に思ったのです。

『こういう風に思っていたんだね』『そうしたかったんだね』とあなたの気持ちをわかってあげられるのはあなた自身です。

あなたが自分を労り、愛しましょう。
両親は「学び」の相手。
両親を見てあなたは自分に学びを与えるのです。

自尊心を向上させるのはあなたです。

もうちょっと背中を押すよ!

もし、あなたの両親が想像以上に酷い両親で、「こんな両親のどこを学べと!?」と思う場合は、理想の両親像を両親以外の中から探してください。

「そんなのムリ!見つからない!」と思ったら、見つかりません。
望んでいないものは得られないのです。

しかし、そっか!見つけよう!と思うなら見つかります。

いえ!嘘です!!
本当は必ず見つかるのです。あなたが望むか望まないかもあなた次第です。

そして、見つかったならば、その「理想の両親像」からいろんなモノを吸収し、受け取ってください。

さらに、「理想の両親像」を見つけたあなたは、現在の両親を客観的に第三者の眼で理解することになるでしょう。

そのあとに受け取る両親への思いを感じてみてください。
今一歩、大人になっていることでしょう。