つい言ってない?!幸せになれない言葉3選

こんにちは!自分改善サポーターブログ 和華です。

これを読むといい人

  • 恋愛で傷ついてばかり、仕事もうまく行かない
  • 別れたくても、別れられない・勇気がない
  • 尽くしても報われない

1.「こんな私」

「こんな私に、幸せなんて訪れない・・・」
「こんな私で良ければ・・・」

自己卑下し、人の下に入るようなことは言わないようにしましょう。

人の下に入るとは、相手の奴隷、もしくは崇めるような立場であり、「私は、あなたの下で働く奴隷で良いです」ということです。

やっぱり、言葉は言霊です。

あなたが自己卑下して、奴隷のような役割になれば、相手は無意識にあなたを見下すようになってきます。

そうすると、相手はあなたに暴力・暴言をするようになります。

でもこれは、あなた自身が「自分は奴隷で良い」と許可した結果です。

意識的でも無意識でも同じです。

気が付いたなら、即刻、態度を改めましょう。

また、例え、あなたを見下すような人でなかったとしても、あなたから自分を見下すような発言を聞いてしまうと、”この人を選んだ自分”も奴隷のような気分になり、対等な恋愛関係を望めないことであなたから離れるでしょう。

ポイント!

ですから、本音で生き、お互いの立場を明確にする言葉を発するよう気をつけましょう。

「こんな私」と思うなら、自分を磨くように自己愛を高める意識で、勉強するなり何なりすれば良いのです。

それもせずに自己卑下するのは、幸せになろうという気持ちすら、持ち合わせていないと判断されても仕方ありません。

男性は『僕は、君と一緒に幸せになりたかったのに・・・』と傷つき、あなたから去っていきます。

要するに、自分の軸をしっかり持つことが求められています。


そのように生きることで、同じ資質の人に恵まれるのです。

2.「また、次、いつ・・・・」

「また、次、いつ彼氏か出来るか、わからない」
「また、次、いつ仕事が見つかるか、わからない」

この発言の時点で、あなたは自分には価値がないと言っています。

過去に、彼氏や仕事が中々見つからなかった状況があったかもしれません。

恋愛の場合、やっと付き合った彼とうまく行かず、別れたら数年、誰とも付き合えなくて寂しい思いをしたとか。

仕事の場合、面接を受けては落ち、受けては落ちを繰り返すようにすると、自分は社会から必要とされていないのではないか?とか。

だからと言って、あなたが人より劣っているわけではないのです。

「どうせ自分は」と思っているから、それ以上が信じられないのです。

この場合、不毛な相手と別れ、「これではいけない!」と気がつき、態度を改めたら、良い関係に恵まれたり。

劣悪だと認識しているなら、早めに決断し、辞めることで、相性の良い仕事が見つかったりするものです。

宇宙から試されていると考えてみてください。

楽しいところに楽しさがやってくるように、上記のような「こんな私は」などと言っているなら、幸せは遠いのは当たり前なんです。

ポイント!

ですから、自己判断で、自分の価値を下げることなく、専門機関に助けを求めたり、準備してから先に進む慎重さを見極めましょう。

出来ることなら、本当にしたかった仕事や職種を見極め、必要な資格を取得し、自分の性格や気質も一緒に考慮して仕事先を決めると良いのです。

本当にやりたかった仕事をまずは、アルバイトや派遣でやってみると良いかもしれません。

特に、派遣の場合は、何か問題があるなら、担当者に相談できます!



自分を諦めるのは、あなたであり、信じるのもあなたです。

3.「報われない」

「尽くしても報われない・・・」

中森明菜さんの曲「小悪魔(ル・プアゾン)」の中にこのような歌詞があります。

”尽くすように愛しても あなたさえ見抜けなかった”

作詞:麻生圭子

「尽くすように愛する」というのは、矛盾しているんです。

「尽くす」なら「愛」ではないからです。
「愛」は見返りを求めないんですね、基本は。

そして、「見抜けない」なら、当然です。
それは、報われようと自分の後々の利益を見越して尽くしているわけからですから。

そこで、相手への「報われようとする計算」が発生します。

これでは、相手に対する純粋な愛ではないですし、純粋に相手を見てないんです。

自分しか見てないのがわかりますか?

ですから、「尽くさなければならない」理由を考えるほうが先です。

もっと身近な例でいうと。

親と離れて暮らしている児童施設があったとします。

そこで、自分の親のような存在の人が、衣食住の世話を焼き、悩み事にも聞いてくれ、褒めもしい、叱りもしてくれ、時には放って置くような環境で育ちました。

そして、卒業を迎え、都会に旅立ちます。

その後、卒業した子供が20歳を迎えた時に、この親代わりの寮母さんに会いに来ました。

きっと、この寮母さんは驚くでしょう。
まさか、会いに来てくれるとは思ってなかったからです。

また、大きくなったら来てほしいと願って、自分に都合よく叱ったり、褒めたりしていません。

愛のある人は、見返りを期待しません。
ただただ、この子供たちの成長を見守っているだけなのです。

だから、突然の訪問に驚き、「自分のやってきたことは無駄ではなかったのかな~」と思い、うれしくて涙が出るのです。

どうしてあなたは、尽くさなければいけないのでしょうか?

幼少期の頃、あなたは親から尽くされ、かわいがられて当然の子供だったはずです。

しかし、親は仕事や立場を優先し、自分にわがままを受け入れてくれる余裕の生活してこず、何か親に褒められるようなことをしないと、生きていけなかった役割で生きて来たかも知れません。

ポイント!

でも、だからと言って、あなたが奴隷とならなければならないのではありません。

むしろ、その環境で過ごすことで、「与えなければ(尽くさなければ)、愛されないんだ」と間違った学びをしてしまっただけです。

尽くすのは、自分が自分に尽くすのであり、尽くされなければならない動機や意図を思い出し、おそらく傷ついているであろう自分の心を癒すべきです。

恋愛でも、仕事でも、自分が自律していないと問題ばかり起こります。

あなたが自分の心を癒すことが出来ると

  • 「頑張らなくていい」
  • 「愛されてもいい」
  • 「心配や不安は、しなくていい」

  • と思う気持ちになり、精神的にも落ち着いてきます。


    あなたが悪いわけではありません。